065 静かな生活

にぎやかなシェアハウス暮らしから一転

ひさしぶりの、ひとり暮らし。

メインは療養だから、先のことはわからない。

よくなるのか、わるくなるのか。

いつまでここで暮らすのか。

 

といってはじまったこの生活も、

そろそろ1年がたとうとしています。

 

去年のクリスマスにここに来たから、

ことしの12/25に、今においつこう!

それまでもうすこし、おつきあいのほどを。

 

さて、ここへきて気づいたこと、1つめ。

 

すごく静かです。

頭の中が。こころのなかが。

 

ーこうでなければいけないー

 

そんな思いからかつて自分に向けていた、

無数の“思考の刃”は

いまはほとんど、なくなりました。

 

人と比べる いつかの自分と比べる

それをしなくなって、楽になりました。

 

よく、手放す ということばでもって

自分の中の変化を表現することがあるけれど

わたしの思う“手放す”というのは

手の中にぎゅっと握りしめ続けた“それ”を

おりゃあと投げ捨てるのではなくて

その手を、ふとゆるめてみる。それだけ。

それだけのことで、こころって楽になる。

 

また“それ”を握りしめる時がきてもいい。

ゆるめることさえ、知っていれば

いたずらに怯えることはないはずだから。

 

 

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064 ドミノ倒し 後編

東京を離れる決心をしたのは9月半ばのこと。
なのにどうでしょう。
話が全然うまく進まないのです。

理由は関係各社のコンプライアンス関係。
このご時世、何よりも重要視される事柄です。
ワタクシが口を挟めることではありません。
うそーん、ここでストップかかるの?

でもこのガッカリ感、覚えがあるな。
東京に来るとき。
4月に来たかったのが無理になったけど、
その結果、シェアハウスとご縁ができたんだ。
なんか似てる。このあからさまな感じ。


そしてあっという間に、11月。
そこから一気に動きがありました。

結果から言うと、所属会社をかえることになり
契約交渉に気をしっかり持って(笑)臨んだ結果、
前回の、『不戦敗ばりに残念な契約』の
リベンジを果たすことができたのです。

これで、もし仕事を休みがちになっても
生活苦に陥るまでにはならないはず!
暗雲がスパッと晴れました。


そしてほぼ同時に、かの地への出張があり、
仕事の合間を縫って、部屋探しも完了。

 

「もう無理ー!できませーん!!」
そんな完全降伏ではじまったドミノの果ては
のどかな海沿いの町での、経済的な心配から
解放されたひとり暮らしでした。
着地!ぴた!

でもやっぱり、さみしかったなぁ。
大切な人たちに少しずつさよならをして、
クリスマスの日、東京を発ちました。

 

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063 ドミノ倒し 前編

白旗宣言からしばらくして、面談がありました。

このときすでに、収入は激減してました。
入社半年でついたばかりの有給が消えていく。
快方に向かう見込みがあるわけでもなく、
このままいくと非常にまずい。

叶うものなら在宅勤務できないものかと思いました。
机に座れれば、あとは何とかなる気がして。


なので、わたしから話をきりだしました。
もう仕事行くのしんどいんです、
在宅やったら何とかなるかもしれない。

ダメ元で、そのまんま、言ってみました。


でも会社としては在宅勤務を導入していない。
そうか、残念。やはり、仕事はここまでか。


…そこからの、話の展開!

東京と大阪以外に、唯一ある地方拠点。
そのすぐ近くに部屋を借りて仕事するのはどうか?
うーーーーーん。

電車通勤しなくていいし。
うーーーーん。

水も空気も都会よりずっといいよ。
うーーん。

家賃も、物価も相当安いはず。
うーん。


いやいやいや、まって!
わたしの東京ライフ。
まだやりたいこと、たくさんある。

でも、そんなこと言ってる状況じゃないのは
自分が一番、よくわかってた。


それでもさすがに即答はできず、
考える時間がほしい、と伝えました。

1週間くらいで心の整理をして、結局
行くことに決めました。


実際、東京を離れることはさみしかったけど、
「これで元気になれたらいいし、もし
それでもだめなら、その時はやめたらいい。」と
言ってくださったことが、心底有難かった。
そして、何よりも。

この町、海のすぐそばだったのです。

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062 白旗をあげるとき

脱ステしながら仕事に行っていましたが
夏になり、ガクッと動けなくなりました。

夜眠れない。そして朝起きられない。
目が覚めても、動く気力がない。
立ってシャワーを浴びることができない。
身支度できても、駅までの徒歩13分がつらい。

意外にも、さほど焦りは感じませんでした。
「あ、これはもうだめなやつだわ」と、冷静でした。

治療的生活が最優先、ということだけは
自分のなかではっきりしていましたので、
仕事ができないなら、東京にいる必要はない。

今の仕事はやめよう。
いっそ何もせずのんびりしよう、そうしよう。

当時のわたしは鎌倉・逗子という土地に絶大な
憧れがあったので、どこでもいいから海の近くで
何もせずぼーっとして暮らしたいと思いました。
それに加え、出張先で乗った電車から見た農村の、
夕暮れから漆黒に包まれていく光景に感じ入り
「人って、ちゃんと夜が来るまちに住むべきだ」
などと思ったりもしていました。

そして、善は急げと「もう働くのは無理です」と
職場に意思表示をしたのです。

 

この「降伏宣言」が、新たな流れのドミノの端っこを

押すことになりました。

 

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061 四つの柱 その4 言葉と心理技術で病気をやめる いよいよおしまい

さて、いよいよ梯谷先生の一日講座です。

物凄い情報量だったのでポイントだけまとめると

・身体は本来、自然治癒力を持っているが、それを
 発揮できていない。そのパフォーマンスに大きな
 影響を与えるのが、潜在意識の状態である。

・潜在意識はバックグラウンドで動いている
 自動プログラムのようなものであり、その
 プログラムの正体は、表現できずにいる様々な
 感情、過去の経験などをきっかけに獲得してきた
 信じ込みや思考のパターンである。

・それらを解消していくことにより、身体は本来の
 力を発揮するので、結果として、病気の状態では
 いられなくなる。
 つまり病気を治すのではなく、病気が終わる。
 病気でいることをやめることができる。

大筋はこんな感じです。


そこに、これまでの臨床で得た知見や、梯谷先生
オリジナルの理論が細やかに絡んできます。
(かなり斬新で刺激的な内容です。理解を超えた
 ものに出会うと、人って笑っちゃうね。)


先生はクライアントさんにおっしゃるそうです。
「病気の話ではなく、人生の話をしましょう」と。
病気をやめたクライアントさんは語ったそうです。
「セッションを受け始めてからは、自分の人生を
取り戻すことで必死だった。途中から病気のことは
考えなくなっていた」と。


はっとしました。
人生を取り戻す、という言葉に。

健康は、人生においてやりたいことを
達成するためのアイテムのひとつであって、
健康それ自体が、人生の目的じゃない。
わたしは健康になることばかり考えていて
その向こうにあるべきものを見てなかった。

『問:あなたはどういう人生を送りたいの?』

わたしの心の解答用紙、真っ白でした。
ゾッとしました。
大きな宿題、いただきました。


また、自己責任論のように聞こえる
「自分で作った病気は自分でやめられる」という
先生の考えは、
・自分の人生は自分で作り上げることができる
・起こったことの原因を自分以外の人、物や環境に
 求める人は病気になりやすい
・病気の原因である信じ込みは無意識的に獲得して
 いることが多いが、自分で、あるいはプロの手を
 借りて解消できる

という背景をふまえたメッセージだと理解しました。


言葉と心理技術で病気をやめる。興味深いです。
医療や科学の常識は、これからどんどん進化し
歴史が塗り替えられていくのでしょうね。


良い学びをありがとうございました。

060 四つの柱 その4 言葉と心理技術で病気をやめる つづきのつづき

梯谷先生の元で学んだ方にカウンセリングを受け、
『母への手紙ワーク』にトライしたわたし。

隠しもっていた感情を表に出すだけではなく
このワークにはひとつの大きな壁がありました。

 

それは、はじめにすごく心に引っかかった
『自己責任論』的な部分でした。

親とのあいだで、自分がすごく嫌だったこと、
許せなかったこと、悲しかったこと、
つらかったこと。

それらを『すべては自分の選択だった』と
捉えることが必要でした。

 

でも、そんな考え、簡単にはできません。
「好きでこういう風になったわけじゃない!」
って思った経験、一度や二度じゃない。

 

親との関係だけじゃない。
人生におけるあらゆる局面において
すべて自分の選択だったなんて言えない。

屈託なく言えちゃう人がもし身近にいたら
「あら、ずいぶん順調な歩みだったのね。
それは何よりでしたねぇ。」
くらいの嫌味、サラッと言ってしまいそう。

 

でも、その葛藤のなかで気づいたのです。
「わたしは悪くない!わたしのせいじゃない!」
そう思いながら、同時に
自分が過去の行いを激しく責めていたことに。

 

なにそのマッチポンプ
しょ、しょうもなーーー!!
(くだらねぇーーー!!)

 

ともかく、自分がすさまじく無駄なことをしてた、
という実感だけはしっかりと得られました。

 

実はこの辺のことは『大人の成長塾』の学びにも
がっつり含まれていたはずなのですが、
やはり個々の体験にまさるものはないですね。

 

そして、この体験と、その後の先生の講座で、
わたしは自分が壮大な勘違いをしていることに
ようやく気がついたのです。

 

059 四つの柱 その4 言葉と心理技術で病気をやめる つづき


理論もいいけど、興味を持ったことについては
『とりあえず受けてみたい派』のわたし。
梯谷先生の元で学ばれたカウンセラーさんを
訪ねました。

 

そこでカウンセラーの先生がおっしゃったことは

・貴方の問題の根っこは『強い無価値感』にある。
・親、家族との関係性に子供は強く影響をうける。
 子供にはそれを避けるすべがない。
・子供の時は無力だけど、大人になった自分なら
 時間をさかのぼって対処が出来る。
・まずは、お母さんに今まで言えなかった思いを
 手紙に書いて伝えましょう。
・無価値感を持つに至った決定的な出来事を
 特定できるなら、言葉と心理技術でその記憶を
 書き換えて解消することが出来ます。
・まあ、まずはお手紙を書くことですね(ニコッ)

 

デデーン。親とのー。関係性ー。
これはあらゆるセラピーや心理カウンセリングで
言われている、王道中の王道ってやつです。

「そこそこうまくやってるので、問題ありません」
そう思っていても、結局ここに戻ってくるのか。

 

往生際が悪いわたしは、先生に訊きました。
「母への手紙、書きます。書きますけど、それを、
 書くけど出さない、という選択肢というのは
 どうなんでしょう?」

先生は朗らかに答えます。
「書くだけでももちろん、意味はあります。
 物理的に渡せない場合もありますからねぇ。
 例えばすでに亡くなられているとか。
 でも、渡したときの変化は素晴らしいですよ!
 手紙を読んだお母さんも救われると思います」

「なんで母が救われるんですか?母にとっては
 キツいことしか書かないのに」

「思いの丈をぶちまけるだけ、は絶対だめです。
 必ず、私が今から伝える書き方を守って下さい。
 そうすればうまくいくでしょう」

そして丁寧にメモを取り、帰宅。
それから毎晩。二週間かけて、手紙を書きました。
書いては泣き、書いては泣き。全然前に進まない。
自分の気持ちを認め、言葉にするというプロセスは
なるほど、セラピーとしても機能するようです。

 

ついにすべてを書き終えて、先生から教わった通り
体裁を整えました。
清書し終えたとき、心が本当にすっきりしました。

そこで頭をもたげるのは
(もうこれでよくない?出さなくてもよくない?)


葛藤の末、なんとか渡しました。

 


その後しばらくして受け取った長い長い返事は、
ここに書ききれない、あらゆる色の感情を
わたしにもたらしました。重かった。

 

いまは、本当に良かったなあと思えます。
独りで抱えてきた重荷をやっと下ろせたから。
いまの母との関係が、わたしはとても好きです。

 

追記

というわけで結局、言葉と心理技術の施術自体は受けておりません!